ブランデーの階級については、以前、紹介した通りだが、このうちナポレオンとい名称はどうして起こったか。(ブランデーの階級序列 参照)
ヨーロッパ大陸のほとんどをその支配下に収め、「余の辞書に不可能の文字はない」と豪語したナポレオンにも、実は悩みがありました。
せっかく世襲皇帝制をつくり上げたのに、彼には世継ぎがいなかったのです。
1811年、ロシア遠征の前の年のこと。
ヨーロッバの空に青白い尾を引くすい星(コメット)が現われました。
古来、すい星は不吉な出来事の前兆とされていたので、人びとは、戦争や飢髄が起こるのではないかと心配しました。
しかし、案に相違して、 3月、ナポレオンの妃、マリー・ルイズにおめでた。
その時のナポレオンの喜びは、大変なものだったといわれています。
そのうえ、この年はまれにみる好天つづきで、ぶどうは空前の豊作、いわゆるビンテージ・イヤーでした。
以繭から、すい星の出現した年のぶどう酒は「コメット・ワイン」として珍重されてきたが、この年、1811年の「コメット・ワイン」を蒸溜してつくったブランデーは、ナポレオン二世の誕生にあやかって特に「ナポレオン・ブランデー」と名付けられ、珍重されてきました。
今日では、世界中に残り少なくなったので、市販されることはなく、わずかに個人の酒庫に1本か2本ずつ秘蔵されています。
現在、市販されているナポレオンは、これとは無関係だが、やはリブランデーの最高高級品を表示ずるマークとして使われています。
日本では、戦後一番乗りしたナポレオンが、クルボアジェー社の黒くくすんだ瓶であったため、それが唯一のナポレオンだと思いこまれたが、これは問違いです。
また一説には、1810~1820年製のビンテージを、ぱく然と「ナポレ才ン・ブランデー」と称するともいわれています。