2000年前にあった魔法使いの広告

いまから1980年ほど前のことだ。
ある日、ギリシャはアテネの町の人ごみを、裸のこじきが、なにかを背負って歩いていた。
背中を見ると 「ローマのすばらしい魔法使い、アナクシラオス がやって来たぞ。魔法を見たいものは広場に集ま れ」と、書いてある。
これはアナクシラオスが自分で書いた宣伝文だが、広告はこんなに昔からあ ったのである。

英国のロンドン博物館には、いまから3000前、エジプトの金持が、逃げたどれいを捜すために、町々に張出したという懸賞付きの広告もちゃんと残っている。

日本では1000年ほど前から、いわゆる高札を町なかに立てて広告する方法が行なわれていた。
だが そのころ、果たしてどれだけの人がこうした広告文を読むことができたか、あやしいもの。
そこで 考え出されたのが、大きな声でふれ歩く、『声の広告』である。
ドラや太鼓をたたきながら、人々の注意を引きつけておいて、おふれなどを伝えたものである。
いまでいうなら口コミの元祖だが、これは、東洋でも西洋でもさかんに行なわれた。

だが、まだ産業らしい産業もなく、わざわざ広告して売出すほどの商品もなかった時代だけに、 商売のための広告というのはほとんどなかった。
やがて産業が進み、商売の競争が始まって、いわゆる広告が商売に使われるようになったのである。
日本では江戸時代からである。
ある日、江戸のヤキイモ屋が、店さきに大きな字で「十三里」という広告を出して、人気を呼んだ。
十三里とは「九里(くり)四里(より)うまいから、あわせて十三里」という意味。
これなどは 広告のアイデアとしても抜群といえる。
そのころから いろいろの店に着板もできるようになった。
また木版や、かわら版を使って、広告ビラを印刷する方法もさかんになってきた。


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