干ばつの記録をみると、過去四百年間に、毎年のように、大なり小なり日本のどこかに発生している。
しかし、やや大規模な干ばつは、十年間に一回くらいの割合で発生することが多い。
明治以来の被害の大きかった干ばつ年をあげてみると、明治六年(一八七三)、九年、十九年、 二十六年、二十七年、三十年、大正十一年(一九 二二) 十三年、昭和四年(一九二九)、八年、九 年、十四年などである。
昭和十五年(一九四〇)以後は、三十年の長きにわたって大干ばつが発生していない。
これは珍現象とみてもよさそうである。
灌漑施設の進んでいなかった昔は、大干ばつになるたびに多数の餓死者が出たので、干ばつを非常に恐れた。
そし て、干ばつの時には雨乞いが行なわれた。
雨乞いの形式は世界中にいろいろ多いが、日本の有名なそれは、京都の竜神を祭った神泉苑で小野小町が祈った雨乞いであろう。
彼女が「ことわりや日の本ならば照りもせめ、さりとてはまたあめが下とは」(実は後人の仮作)と詠じたところ、 突然、雨が降ってきたという。
また神泉苑では別のとき、白拍子が法楽の舞を九十九人まで舞ったがそのききめがない。百人目に静御前が舞ったところ、車軸を流すような雨が降ったという伝説もある。
夏に三十日以上全く雨が降らなければ、大干ばつといっていい。
岡山の大正六年(一九一七)十 二月十一日から翌年二月二日までの五十四日間をはじめ、五十日以上の干ばつは冬季に多い。
夏季の大干ばつの例では、大阪の明治十六年(一八八 三)七月四日から八月十九日までの四十七日間、 名古屋の明治二十六年六月二十五日から八月二日までの四十日間などがある。
被害は無論、夏の方が大きい.

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