九世紀といえば、日本では平安時代の前期、中国では唐の後期である。
このころになるとイスラムの商人は、さかんに中国へ出むいてきていた。
そうして得た知識をもとに、イランの学者イブン・ホルダードベーが、世界地理の本を書いた。
この本のなかでは、くわしく中国のことを紹介するとともに、中国よりさらに遠くにある国として「ワク・ワク」という名を挙げた。
これは日本をさしたもの、と考えられよう。
わが国のこと を、むかし中国人は「倭国」と呼んだ。
それをイスラム商人が聞き伝えたものと考えられるわけである。
そうすれば、これこそ、わが国の名が西方 の書物にあらわれた最初の例といえよう。
それから三百年ちかくたった。
すでに十二世紀、平安時代の末期である。
モロッコ生まれのアラブ人地理学者イドリーシーは、当時として最もくわしい世界地図をつくった。
この地図には、はっきり緯度を示した上で、海岸線や山脈などを書き入れている。
ことにイドリーシーが実地に見聞した地中海の形などは、きわめて正確である。
しかしアジア大陸の、インドから東方になると、当然のことながら正確さを欠いてくる。
アフリカ大陸も、北岸は正確であったが、南に下ると実際とは違ってくる。
イドリーシーの地図では、アフリカ大陸の東端が、ずっと東方に伸びている。
インド洋をはさんで、アジアの東端とむかい合うようになっている。
そしてアフリカの東端に「ワク・ワク」とい う地名が書きこまれた。
アジア大陸の東の果ての 中国から、さらに海をこえたところにある国が 「ワクワク」であるから、それをイドリーシーはインド洋をこえたアフリカの東端に置いたので あった。
「ワクワク」が日本とすれば、これは日本の名が出てくる最初の世界地図である。
しかし日本は、アフリカ東端の国として登場する、という次第になった。

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