むかし、ギリシャ人やローマ人は、中国のことを『セリカ』または『セレス』と呼んだ。
絹の国という意味である (絹は『セル』 である)。
その名のように、絹は中国の特産であり、西暦前四~三世紀のころには、早くもヨーロッパに伝えられた、と考えられる。
絹こそは、ギリシャ人や口ーマ人にとって、あこがれの品であった。
だからこそ、アジアの内陸、中央アジア(西域)を通って、はるばると中国から運ばれたのである。
しかし古代のことであるから、直接の交通があったわけではない。
たくさんの人びとの手をとおして、リレーされたのである。
そこでヨーロッパでは、絹そのものを愛用しても、絹がどのようにして作られるのか、ずっと後代まで知られなかった。
一世紀の後半、ローマの学者プリニウスは、その著書のなかで記している。
絹は「森の中の木の葉に生えているものを、セレスの人がとってきて、水にひたして糸にする」
絹を着てから数百年たって、なお絹は木から生ずると、大学者でも思いこんでいた。
絹の糸が 「植物からではなく、虫から生ずる」ことが知られたのは、ようやく二世紀になってからのことである。
それでもパウサニアスは述べている。
「虫はクモに似て、これに四年間キビを食わせ、 五年目に大好物の緑色のアシを食わせると、満腹して身体が破裂し、たくさんの糸を出す」などと・・・

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